第1回 eスポーツ子ども塾(臼井)

第1回 eスポーツ子ども塾

(私のコンピュータ歴とeスポーツ)



  •  今年のNPOの事業計画として、「eスポーツ子ども塾」を行うこととした。ボク自身は、eスポーツに拘りがある訳でもないが、youtubeなんかを見ていたら、世界ではやたら盛り上がっているらしい。最初は、言い出しっぺのボクがしゃべらないと、弾みがつかないので、取り敢えずパワーポイントを作ることにした。
  • 作りながら考えてみると、ボクは結構、スポーツカーに拘っていたことを思い出した。eスポーツの競技種目を調べると、レーシングゲームもあったので、これで行ってみようということにした。

  • ボクの最初の就職は、大阪梅田にあった「日本電子計算」という会社を、同じ大学の友達が就職したいというので、同伴で行ってみた。行くと大阪駅から徒歩5分くらいの富国生命ビルの7階だった。

  • 当時の大阪富国生命ビル

  • 会社は、7階にあったが、コンピュータルームは6階のガラス張りの部屋にあって、中にでんと置かれたでっかいコンピュータを、かわゆい女の娘がコンソールに向かって、何やら入力していたら、突然ゴーという音とともにコンピュータのあちこちに電気がついて動き出した。
  • それを見て、凄くかっこいいじゃんと思ったので、友達を無視して、入社した。
  • この会社には、社員寮が、芦屋市内と宝塚市内にあって、ボクは、芦屋市内の寮に下宿することになった。


  • これ以降は、セミナー当日使ったパワポの画面を見ながら説明する。
  • 会社に入って、初めて見る本物のコンピューターは、非常にでかいもので、大きな部屋を1台で占拠するほどだった。
  • 先輩に聞アメリカから購入し購入したコンピューターを積んだ船は、神戸港沖に長く停泊して、コンピューターの陸揚げができなかったそうだ。
  • なにしろ、1機20億円以上したそうで、当時の政府から外貨の使用許可が下りなかったそうだ。
  • 陸揚げ後、神戸港から、大阪梅田の富国生命ビルまで、パトカー先導で多くのトラックが1台のコンピュータを分散し、列をなして運んだそうだ。
  • クレーンでビルの7階の社内に設置する予定だったんだが、ビル管理会社のほうから奇数階は重量制限で無理なので、設置場所を偶数階に変更してほしい、ということで、コンピュータルームは6階になったそうだ。
  • いずれにせよ、兵庫県の丹波の片田舎で育ったボクにとって都会生活は初めてであり、大阪駅のそばで、阪急と阪神百貨店に囲まれた環境というのは、大変気に入った。
  • 入社2年目から、新しく宝塚市内の寮であったアパートに暮らしていたが、尼崎市のテニスコートに行く途中で見つけた、堂島川河畔のマンションを買って住むようになった。
当時の大型コンピュータと端末

  • 住んでみると、大阪市は、思ったよりコンパクトな街で、梅田から地下鉄で30分くで、八尾空港に行けた。

  • 八尾空港に行くと、「日本アマチュア飛行クラブ」という看板の建物があったので、そこに入って、セスナの操縦を学ぶことにした。
  • ある日、空港に行く途中、地下鉄の車内で「週間プレイボーイ」を読んでいると、雑誌の中央にとじ込みでカラーページが挿入されており、開くと真っ赤なスポーツカーの写真が掲載されて、「アメリカでインポートカーオブザイヤーに日産のフェアレディZが選ばれた」というニュースだった。
  • 余りにも車の写真がカッコよかったので、すぐに日産の販売店に行って、ブルーのフェアレディZを買った。
  • 当時、大阪市内で阪神高速道路が建設中だったが、なんと、入社した会社が、高速道路の耐震設計を含め、工事図面の作成をを行っていた。
  • 早速、買ったばかりのフェアレディZで、完成した部分の高速道路を乗りまわした。
  • その際、建設図面の作成を行っていた技術計算部門のチームリーダーを助手席に招いて、完成した部分の出来栄えをチェックすることも忘れなかった。これは、スピード違反で警察に検問を受けた場合に備えてのことだった。

    • 阪神高速道路とブルーのフェアレディZ



      • また、阪神電車梅田駅から神戸方面に30分程度行くと、西宮ヨットハーバーがあり、ボクは会社の同僚と共同でヨットを購入し、大阪湾を乗り回した。
      • 西宮ヨットハーバー

      このころ、世の中では、ゲームセンターが流行っており、インベーダーゲームが喫茶店などに大量に設置され、会社の昼休み時間になると、ボクは自分の仕事をコンピュータにやらせるプログラム(ジョブコントロールプログラム)を開発して、ボクは、喫茶店のインベーダーゲームに夢中になった。インベーダーゲームに飽きてくると会社の入居しているビルの隣にあった「バンビ」というジャズ喫茶で、JBLのオリンパスというスピーカーから流れるすばらしい音に聞きほれたのだった。
      その音に大感激して、自分もJBLのモデル4343を購入して、自宅でも楽しんだ。

      ただし、レーシングカーレースについては当時は画像のように、まだまだおもちゃの域を出なかったので、ボク自身はあまり興味が湧かなかった。



      このころ関西では、「けいはんな学研都市」が建設され、多くの研究所がオープンした。ボクのいた会社でも、多くの機器や研究設備を研究所に納入し、ボクのチームで研究していたAI端末も納入された。そのAI端末の納入先のATRから「端末の使い方を指導してくれる社員を寄越すように」との要望を受け、ボクは、時々ATRに行き、自動翻訳電話の研究を手伝った。これは、電話で日本語で話すと、相手の受話器から翻訳された英語でしゃべってくれるという面白い研究だった。
      夕方、仕事を終えて、ATRの玄関でタクシーを待っていると、建設中の町だったので、周囲の山からキツネの鳴き声が聞こえて来たものだ。



      フェアレディZを12年で乗りつぶしたので、新しくスポーツカーが欲しくなって、トヨタの販売店へ行くと新発売のスープラというスポーツカーが展示してあった。一目で気に入った。それは、一般的に、買った後で取り付けていたでっかいテイルウィングが、新品の車にもついていて、とても気に入った。



      早速、展示してあったスープラを購入したが、振り返ってみると新車で車を買ったのは、これが初めてだった。トヨタのスープラも素敵な車で、結構よく乗った。
      しかし、一生に1度のスーパーカーが欲しくなり、スーパーカーとは呼ばれていなかったが、BMW社では珍しい1台1台手作りだと言うクルマで、スポーツカーでは比較的安価だった。このクルマを大阪市内の近所の駐車場で見つけてめちゃくちゃ惚れ込み、この中古車を必死で探した。


      さて、ようやくこの車を、中古業者のオークションで見つけた。4年落ちで色はロイヤルグリーンで、ボクの好きな色だ。

      オークションで見付けたBMW840


      それでも中古車で580万円だった。このオークションには、輸入車の取り扱い業者しか参加できなかったので、ボクの田舎に近い福知山市のボルボ販売店を通じて購入した。

      買ってみるとこのクルマは、4000ccで2人乗り、めちゃ速かった。

      このクルマは、一瞬だけど、ボクにドイツの富裕層の楽しみ方を体験させてくれたのを覚えている。それは、運転席についた1つのボタンだ。運転しながらそのボタンを押すと、クルマの後ろのウィンドウのカーテンがバッと左右に開いて、ガラス越しに、さっき、自分の車と一緒にスタートした他の一般の車が、ワイワイと出足競争している姿を楽しめることだ。多分、この車のオーナーは「自分の車はこんなに速いんだぞ。」と、これを見て優越感に浸るんだろう。また、時々、ボク自身が、ゴルフに行く機会があったんだけど、ボクが「この車、ゴルフバッグを入れるところが狭いね。」と、販売店の係の人に質問すると、「この車のオーナーは、ゴルフ道具なんか、自分で運ぶような想定はしていないんですよ。ドイツでは、普通はその家の執事が、自分のクルマで運ぶことになっていますから」だって。

       速いけど、慣れない僕には使いこなすのはちょっと無理だといいうことで、2年ほど乗って売り払った。
      しかし、ある日、車庫から出して田舎に帰ろうと準備していたら、マンションの住民の中に、声をかけてくれたた人がいた。「この車、ボクも乗っていたけど、いいクルマだねえ。しかし、本当にいいのは、もう1クラス上のBMW850の方やけどな。この840は、山道でアクセルを吹かさな、あかんわな。でも850は、山道も平地と一緒で、すいすい走るんやで。」だって。後でその人の話を聞く機会があったんだけど、その人は、当時、このマンションでスーパーカーを9台保有しており、テレビなどで彼の保有するスーパーカーと共に、よく取材されていたそうだ。でも9台のスーパーカーの維持に困っているそうだ。そりゃマンションの駐車場だけでも1台につき月々4万5千円いるんだもんね。

       大好きだったBMW840を売り払ったので、ボク自身はめちゃ寂しくなり、今度は、クルマでも経費的にも大きさでも、田辺市のような小都市で乗りこなせるスープラの姉妹車であるソアラをオークションで落札した。スープラと同じ車種なので、乗り心地などはよく知っており、とても乗りやすかった。しかし、時々ブレーキとアクセルを踏み間違いそうな時があったので、用心して次の免許更新時に免許証を返納することにした。




       でも、車がなくなるということは、田辺という田舎に住んでいる僕にとって大変なことで、あわてて対策を講じた。そこで、気づいたのが事故を起こさないスーパーカーが欲しくなり、最近、頓に開発が進んでいるレーシングゲームに取り組んでみることにした。そもそも、その入り口として、子どもたちとともに勉強しようと始めたのが、この子ども塾である。

      ところで、NPO への通勤や自治体への訪問は、妻の赤いマツダデミオに乗せてもらうことにした。自分の中では、赤いアルファロメオだと思い、アルファデミオと呼んでいる。このクルマもオークションで見付けて、販売店で購入したものだが、走行距離は、わずか7000kmで新車同然だった。



      最近は、ゲームでも、任天堂Switchやソニーのプレイステーションなどでも画像のきれいなレーシングゲームが登場し、人気となっている。とくに任天堂のレーシングシミュレーターでは、レースで使用する、改良パーツが豊富に用意されており、マフラーやサスペンション、ブレーキなどを交換でき、レースに変化を求められるようになっていた。

      たまたま、youtubeを見ていると、グランツーリスモを説明しているいくつかの動画があった。その1つが「グランツーリスモ7のまとめ」で、このゲームで何ができるかを、簡潔にまとめていた。もう1つが、グランツーリスモ7で遊びまくっている所さんが、そこに訪ねてきた陣内さんとフェラーリを運転しながら語るグランツーリスモの説明動画だった。

      所さんが語るグランツーリスモの説明

      もちろん、画質は4kで素晴らしく、過去の名車も含めて世界中のスポーツカーに自由に乗れる。それにもまして、世界中の素晴らしい観光地を、好みのクルマで乗り回することもできるそうだ。
      それはそうと、プレイステーション世界ラリー選手権の最新作は、WRC50周年を祝う作品になるそうで、豊富なコンテンツが用意される。特に、『WRC 10』には歴史を振り返れるモードが収録される予定になっており、アクロポリス・ラリーラリー・サンレモなど、WRCの歴史を彩ってきたクラシックラリーを楽しむことができるらしい。

      ボクにとっても、何か、素晴らしい老後のカーライフになりそうだ。

              
                 グランツーリスモ7の例1


      このブログを書いていると、これまでの人生を振り返って、ボクは嫌いなことをできるだけ避けて、僕の好きなことを中心に仕事や遊びをやってきたように思う。
      ここまで振り返ってみると、IT業界はとても面白かったが、面白くてIT技術を中心にして、これからの世界で活躍できるものとしては、AIとゲームだと思う。

      そのうち、eスポーツは、年齢、性別、場所を超えて、どこででも同じ条件で始められるんだ。この年齢になっても、若者と同様に競争できるんだよ。

      同じ理由で、小学生の君たちとも同じ環境で競争できるんだ。
      多分、小学生の君たちは、ゲームなども早く覚えて、判断力もすばらしくなる可能性は、十分にある。だから、ボクは多分君たちの相手にはならないだろうけど、ゲームにはいろいろあるから、ひょっとしたら、ボクにも合ったゲームが見つかるかも知れない。と、いうより、見つけるんだ。

      そして、もし無かったら作ればいいではないか。


      ボクは、コンピューターが好きで、プログラムを作れるんだぞ。
      そうだ、ボクは、いろんな人に助けられて、いろんな経験を積んできたんだ。
      これから小学生の君たちに勝てるようなゲームを作るんだ。

      先日、通販のアマゾンを見ていると、レーシングゲームでは、PCと接続できる ハンドル コントローラーなどが売られていた。ゲームはゲームで面白そうだけど本気でやるとなると、結構、金がかかるのではないかと心配した。

      でも、このシステムは、初心者にも配慮してくれていて、安価なシステムで、レース経験もあまりないという人たちにも、面白く楽しみながら、車に興味が持てるような、コンテンツが組み込まれているようだ。
      ボクも一度、超安価なシステムで遊んでみようと思う。



      グランツーリスモ7のスタート画面

      小学生の皆さん、親御さんを説得して、何か面白いゲームを見つけて練習をしておいて。
      ボクも老人でも勝てるゲームを見つけて頑張るから、どっかで一緒にゲームをしようぜ。

      それから、この子ども塾でもいろんな講師の先生方のお話を聴いて勉強をしといてね。
      頑張って!

      (臼井義美)


























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